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 当り前のことが、初めはなかなか理解できず、どころか、ともすると度し難いとさえ感じる。よくある話だし、実際、今はかけがえのないそれを、私ユマ・ランカンが理解するまでには長い時間がかかった。
 決定的なものではなかったけれど、確かにそれがひとつのきっかけだった、という出来事を覚えている。
 始まりはこんな風だったと思う。

「前金はいらない」
「手付けだぜ? もらって悪いこたぁねえだろうが」
 相手は顔をしかめた。その風体から“僧侶”などと呼ばれているが、およそ信仰なぞには縁の無い男。闇ギルド<奈落>の大番頭。
 成功報酬しか受け取らないのが私の流儀。それを知っている癖に、この男は毎回同じことを言う。蛇め。
「くどい。それよりさっさと次の……」
 不意に奇妙な臭いが鼻を衝いた。でたらめに混ぜ合わせたとしか思えない香り。見れば、床の一角に置かれた小さな香炉から薄い煙が立ち昇っていた。その前に娘がひとり座り込み、一心に何ごとか行なっている。年は、私より二つ三つ下くらいだろうか。身なりからして魔女らしい。何人かがそれを側で見下ろしていて、一様ににやにやした表情を浮かべている。
 少女の周囲には妙な品々が雑然と広げられていた。なにか小動物の頭骨のかけらに、蝙蝠の羽の切れ端。奇怪というより不恰好な図形の記された、擦り切れた羊皮紙に、不揃いの水晶くず。魔術の道具、というより“ごっこ遊びのがらくた”と呼んだ方が相応しい。
 たどたどしい手の運びは、傍目にも不慣れなのが明らか。呪文らしき言葉も、つかえることしばしば。あどけなさの残る顔は、半べそ気味に紅潮していた。
 微かな苛立ちを覚えながら、私は少女を見続けた。
 やがて確かに魔力とおぼしい火花が二、三回閃いたが、それだけだった。なにを企図していたにせよ、あれではせいぜい鼠を驚かせるのが関の山。
 周囲から声があがった。失望の声ではなく、笑いが。少なくとも彼らには期待どおりの結果だったらしい。
 ひとりが掌から幾ばくかの小銭を落とした。床に当たってわびしい音が響く。ささやかな木戸銭。
 少女の手が動いた。拾うためでなく、払いのけるために。硬貨は音を立てて、思い思いの方へと転がっていった。
「いらないわよ!」
 侮辱への怒りがこもった叫び。それさえも観衆を面白がらせるばかり。当人もそれが分かっているのか、それ以上は言わず、目の前にぶちまけられた(としか見えない)道具を片付け始めた。
「あの娘は?」

ああ、どこで聞いたか、強引にうちに入れてくれって聞かなくてな。……誰かさんと同じよ」
 さりげない揶揄を私は無視した。
「随分と危なっかしい手つきだったが」
 “僧侶”は大仰に肩をすくめてみせた。
「どころか、駆け出しにしたってもう少しましよ。魔女って触れ込みだったが、ちんけな術ひとつ使うのにも、えらく手間暇かけやがる。しかもあの通り、しょっちゅう失敗するんだ。そのくせ、気位ばかり高くて、他人の手は借りたくねえときたもんだ。まったく、とんだ食わせ物だぜ」
 視界の隅で少女が出て行った。視線を戻した“僧侶”の声が抑揚を失った。暗い目が細くなる。
「実は次のおめえさんにやってもらいてえのが、あの娘のことよ」
「……殺せと!?」
「まさかよ。そこまでするような話じゃあねえ。だからといって、このまま置いておく訳にもいかん。そこで深入りする前にお払い箱にしようって訳よ。具体的にはちょっとした不始末を口実にするんだ」
 その精一杯人情を示した、という風の言い方が癇に障った。他人の運命を気分で弄ぶことに喜びを見出す輩。切り裂けば流れる血は黒だろう。
「天下の<奈落>が、お優しいことだ」
「ひとごとじゃねえぞ。あの娘がしくじっても、そのままじゃうちの名に傷が付く。そこで、おめえの出番だ。あいつの尻拭いをやってもらいてえのさ」
 さすがに予想外の話だった。顔にもそれが出たらしい。“僧侶”がにやりとした。いちいち気に障る。
「私がやるような仕事とは思えないな」
「だったら他のやつにやらせるさ。穏便に済むかどうかは分からんがな」
 心の中で舌打ちした。この男の喉を掻っ切ってやれたらどんなにいいか。