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 煤とひび割れで飾られた、歪んだ家屋の連なり。がらくたと汚物で半ば埋もれてしまった石畳。
 健全さとは無縁のスクーレの街。その中でもとりわけ貧しく荒廃した一角。
 あの魔女もどきの娘の家はそんな場所にあった。

道すがら、二人連れに行き逢った。
 薄汚れた身なりの男が、こちらは普通の姿の人物に話し掛けている。相手の態度からして、歓迎されていないのは明らか。
 男の声は聞こえなかったが、その動きは見覚えがあった。誇りと無縁の輩がする動き。媚びとへつらい。
 やがて、相手はしぶしぶ懐に手を入れ、そこから数枚の硬貨を出して放った。石畳が金属音を響かせるや、身を翻して立ち去ったが、男の方は目もくれなかった。取り漏らすまいと、這いつくばって硬貨を拾い集めていた。

 妙な苛立ちを感じ、私は舌打ちをした。

 目的の家は、廃屋とも住居ともつかない、あばら家だった。
 果たして彼女はいるだろうか? 私は窓に忍び寄って、そうっと覗き込み……いた。
 例によってでたらめとしか見えない道具を広げ、香の煙に包まれて儀式に打ち込んでいる。やはり何度見ても、たどたどしい子供の物真似と大差ないようにしか見えない。未熟というより、向き不向きの問題と思われた。
 多分、本人も自覚はあるのだろう。しくじる度に唇を噛み、時に目元を拭う様からは、紛れも無い悔しさがにじみ出ていた。だがそれも却って動作を妨げるばかり。

 そのちぐはぐさを伴った真剣さは、私に同情と苛立ちの両方を引き起こした。
 彼女の請け負った仕事は、よくある魔物退治。小遣い稼ぎにも値しないような代物だった。ただしそれは十分な能力と経験を持つ者にとっての話。彼女がそのどちらも欠いているのは、明白だった。
 間違いなく彼女は失敗するだろう。分かりきっているのに、それを待たなければならないという、この茶番。
 このギルドの回りくどさは異例だった。意味するところはただひとつ。私に対するギルドの嫌がらせ、からかい。魔女のことなど、端からどうでもよいのだ。
 なにかにつけて、ギルドの流儀を無視してきた私だ。時々こういうことがある。その解決を図ることが、私がここを訪れた理由だった。
 声をかけようとした、ちょうどその時、部屋の扉が開いて、見覚えのある男が入ってきた。通りで金を無心していた男。今は少しましななりをして、上機嫌で酔っ払っていた。
 魔女の顔が嫌悪に歪むのが見えた。
「おお、アリエノ、まだそんなことやっとるのか」
「……父さん、飲んでるの? まさかまた……」
「おうよ、俺がちょいと頭下げりゃ、お人好しどもの銭にゃ事欠かねえ。そら、小遣いをやろう」
 音を立てて、小銭が魔女……アリエノの前に落ちた。娘の返事も待たず、父親は歌いながら千鳥足で出て行った。
 アリエノは呪い殺さんばかりに、小銭を見つめていたが、やがてそれを引っつかむや、父親の消えた扉へと叩きつけた。
 私は溜息をついた。果たしてまともに会話ができるだろうか?

 アリエノの気が鎮まるまで待ってから、私は姿を現した。私を見て彼女は怪訝そうに言った。
「……ユマ・ランカン?」

「私を知っているのか」
「当然でしょ。<奈落>いちの有名人だもの」
「不用意にギルドの名を口にするのは賢明じゃない」
 それが癇に障ったらしい。途端に顔をしかめた。
「なんの用?」
「あんたの今度の仕事のことで来た。あれはあんたには荷が勝ちすぎる。辞退するのが身のためだ」
「余計なお世話よ。今、準備している魔法がうまくいけば、どうってことないわ。そりゃ、いつも成功するとは限らないけど、だからこうやって……」
 苛立ちが戻って来た。この世間知らずに、用なしと見なされた者が本当ならどんな扱いを受けるのか、教えてやりたかった。どうやって<奈落>がその権威を保ってきたのかを、彼女が向こう見ずにも立ち入ろうとしている世界がどんなものかを。
 私がこうしていられるのは、ギルドの温情とでも? とんでもない! 実績があればこそだ。それが何を意味するのか、彼女に理解できるだろうか?
 少なくとも、私の沈黙はアリエノも理解したらしい。
「……知ってるわよ」彼女は言った。「知ってるわ。<奈落>がどんなところかくらい。馬鹿にしないで!」
「本当に? 知った上であえて入るとは思え……」
「他に雇ってくれそうなところなんて、なかったからよ!」
 不意に大粒の涙がこぼれて、床の水晶くずを濡らした。
 涙ならギルドに入る前も、入ってからも沢山見てきた。金持ちに貧乏人、善人や悪党、そして自分の。
「あたしには魔法しかない。でもちゃんと勉強する機会はなんてなかった。誰もあたしに手を差し伸べてなんかくれなかった」
 あの父親のことが脳裏をかすめた。肉親。金。誇り。
「あたしは誰の手も借りずに生きていく。少なくとも、そうなるよう努力する。それで駄目なら死ぬだけよ!」
 ありきたりの言葉がなぜか、ちくりと胸を刺した。
 古い記憶が呼び起こされそうで、私はそれ以上、話すことができなかった。