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「わたし、水上都市に行きたい」
 そうわたしが言った時の、あの人の表情はよく覚えてる。
 本当は一緒にいたかったけど、わたしはそうは言わなかった。あの人たちにはやることがあるんだって、それは子供心にも分かったから。多分、あの人もそれが分かったんだと思う。だから、きっとあんな顔をしたんだ。白い肌がちょっとだけ赤みが差してたっけ。
 あの人は、幼いわたしの願いを聞いてくれた。そうして、わたしは来たんだ。
 悪名高いスクーレの街にね。


「マキです。マキ・シスチャ」
 わたしが名乗ると、決まって返事はこうだった。
「それで? お前さんは一体何ができるのかね」
 答えに詰まって、話はそこで終わり。仕方ないよね、まだ少女とも呼べないような子供を雇おうなんて、そんなのんきな時代じゃなかったもの。
 でもとにかく働かなきゃ、飢えて死んじゃう。店の看板と見れば、片っ端から扉を叩いたっけな。
 これがスクーレじゃなかったら、もうちょっとなんとかなったのかもしれない。でも、その時のわたしは他の街の名前なんか知らなかったんだ。たまたま聞いたことのあった地名がスクーレだったってだけだし、それだって名前以上のことはほとんど知らなかったからね。
 “あの人”もそうと知ってたら、決してわたしをスクーレになんか連れてこなかったと思うな。でもそうなると、余計迷惑かけることになってたし、難しいね。多分、誰のせいとか、そういうことじゃなかったんだよ。

  何軒目か何十軒目か分からないけど、同じように追い払われて、わたしは暗い路地で途方に暮れていた。
 どうしよう? 寝る場所もなければ、頼れる人もいない。わたしは呆然と立ち尽くしてた。道行く人は誰もわたしに気付かないみたいに、足早に通り過ぎてく。本当に、正真正銘、わたしは独りだった。
「お腹空いたなあ……」
 涙をこらえながら溜息をつくと、不意に後ろから声がした。
「あらら、お嬢ちゃん、ひとりでこんなとこいちゃ、危ないよ? 早いとこ、おうちに帰りなよ?」
 振り返ると、とんがり帽子に黒っぽい服を着た背の高い女の人が立っていた。
「あ、あの……わたし、ここに来たばかりで、その……家とか何もないんです」
 それだけで大体の事情は分かった、という風に女の人は肩をすくめた。
「この街じゃパン一個ありつくにも、それなりの覚悟がいるからね。でもね、自分でなんとかしたいんだったら、方法がないこともないよ。とても辛いことになるかもしれないけど、このままのたれ死ぬよりマシだと思うなら、行ってごらん」
 そう言って、その人はとある場所を教えてくれた。わたしみたいなのでも、雇ってくれるところ。
 そこがどんなところか始めに知ってたら、どうしてたかな。でもスクーレに来た時と一緒で、その時のわたしには、とにかくすがることのできる、たったひとつの望みだった。わたしはその人に礼を言って、走り出した。
 スクーレで一番影の濃いところ。闇ギルド<奈落>へ。

 今にして思えば、あの女の人がなにか口利きをしてくれたのかもしれない。<奈落>がわたしを雇う理由なんてある訳なかったんだから。とにかくこうしてわたしはスクーレで暮らし始めたんだ。
 そうは言っても、掃除とか食器の後片付けとかばかりで、大したことはできないから、もらえるお金もそれ相応。一日、小突かれたり怒鳴られたりしながら、必死で働いて、小銭を数枚もらって、空きっ腹のまま毛布にくるまる。そんな生活。寂しかったなあ。

 ある日のこと、詳しいことは忘れちゃったけど、特別辛いことがあって、わたしは物置の片隅、つまり自分の部屋で泣いてた。それ自体はそんなに珍しいことじゃなかったけど、その時はなんだか死んだお父さんお母さんのこととか、懐かしい色んなことが思い出しちゃって、涙が止まらなかったんだ。
 ひとりで声を押し殺して泣いていると、ふと側で何かが動いた気がした。
「……なに?」
 信じられる? ネズミかと思ったら、ウサギくらいの大きさの、見たこともない生き物がそこにいたんだ。大きな光る目のほかは、手も足もない変な形。精一杯体を伸ばして、わたしの顔を覗き込んでた。
 びっくりしたけど、枕もとでお母さんが聞かせてくれたおとぎ話が頭に浮かんだんだ。古い家の隅に住み着く、小さくて大人には見えない、不思議な生き物の話。
「……ムイムイ!?」
 するとその生き物はわたしの周りをぴょんぴょんと跳ね回り始めた。その様子がなんだか必死に見えて、ちょっとおかしかった。
 いつの間にか涙が止まってた。
 しばらく回ってから、ムイムイはわたしの前に来ると、小さく身を揺すった。そしたら、何が起きたと思う?
 ぽんっ! 突然、一輪の花が現れたんだ。どこに隠し持っていたんだろう、まるで手品みたい。薄汚れた部屋の中で、とってもきれいだった。


「わあ!」
 わたしが思わず声をあげると、ムイムイはそれをわたしの方に差し出した。
「くれる……の?」
 おずおずと受け取ると、ムイムイはまたわたしの周りを跳ね始めた。わたしは笑った。
 その日から、わたしは独りじゃなくなったんだよ。