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「ただいま!」
 わたしが部屋に帰ると、いつものようにぴょこぴょこと小さな影が飛んできた。それだけで、一日の疲れや嫌なことが消し飛ぶような気分。
 その日あった、いいこと悪いこと、それをムイムイに話し掛けるのが、わたしの日課になってた。
 わたしの言葉が本当に分かってるのかは分からなかったけど、わたしがしゃべっている時はいつも、ムイムイは身動ぎしないで、じっとわたしの目を見つめてた。それで時々、相槌を打つみたいに、身を震わせたり斜めに伸ばしたり。わたしにはそれで充分だった。この暗い街で暮らすわたしの大事なお友達。

 わたしがひもじい思いをしてると、どこからか小さな飴やクッキーを持ってきてくれたこともあったっけ。うれしくてペロリと食べちゃったけど、そう言えばムイムイってなにを食べるのかな。
 時にはどこからともなく、他のムイムイたちもやってきて、わたしたちは一緒に輪になってダンスを踊った。一番ちっちゃいムイムイは、わたしの肩の上。かわいかったなあ。
 もしかしたら、ムイムイは寂しい子供を慰めるために、優しい誰かが遣わしてくれた精霊なのかもしれないね。そんな風に考えたりできるくらい、わたしはムイムイのお陰で元気付けられたんだ。
 わたしはまた笑えるようになったんだよ。

 でもそれが気に入らないやつらもいたんだ。わたしをいじめてウサ晴らしをしてた連中。わたしが通ると、わざと足を出して引っ掛けようとしたり、物を投げ付けてきたり。以前のわたしは、それこそ小動物みたいに必死に逃げ回ったりしてた。
 そういう連中の嫌がらせを、元気になったわたしは、うまくかわせるようになった。ムイムイみたいに、ひょいひょいってね。あいつらはそれが面白くなかったみたい。
 ある時、つい調子に乗って、かわしたついでにあかんべえってしちゃったの。そしたら、あいつら、本気で怒り出して、わたしの髪をひっつかんで奥にひきずってった。泣いて謝ったけど、あいつらは許してくれなかった。
 人気のない通路で、わたしは何回もひっぱたかれて、倒れこんだ。泣きながら身を丸めて震えてた。
「知ってるか? こいつ、仲間もいないもんだからよ、独り言ばっかりでよ。薄気味悪いったらねえ」
 なんのことを言っているのかはすぐ分かった。こいつらには決して分からないんだってことも。痛みも忘れて叫んだ。
「わたし、独りなんかじゃないもん!」
 返事は馬鹿にしきったゲラゲラ笑い。悔しかったなあ。あいつらは次はどんな痛い目に遭わせてやろうかって言い始めた。そこへ全然別の声がした。あいつらの背後からね。
「なにくだらねえこと、やってやがる」

 ひんやりと冷えた鉄みたいな声だったな。
 誰かが他の誰かにケチをつける。スクーレでそれは喧嘩の始まりと同じこと。当り前のように、あいつらは身構えて振り返った。途端にその体が凍りついたみたいに強張った。
「カスどもにはお似合いだが……邪魔だ」
 会うのは初めてだったけど、誰なのかすぐに分かった。黒い衣装に、大きな剣。そして数々の恐ろしげな“武勇伝”。噂だけは何度も聞いてた。
 あいつらがうわずった声を上げた。
「きょ、きょ……」
「“狂犬”だ。そう言いたいならな」
 それだけで周囲の気温が下がったみたいな気がした。
 男たちがなにか行動を起すより早く、立て続けに鈍い音がしたと思うと、もう男たちは床の上で動かなくなっていた。わたしはただ目を白黒させてただけ。
「あ、あの……ありがとうございました」
 どうにか言ったけど、返事はやっぱり冷たかった。
「勘違いするな。目障りだから片付けた、それだけだ。あんまりじゃれつくようだと……」
 すっとその目が細くなった。
「……お前も殺すぞ?」
 そのひと言で、すくみ上がったらいいのか、泣いて謝ったらいいのか、わたしはすっかり取り乱してた。でもイゴールは、そんなのお構いなしに横を通り抜けて、すたすたと行っちゃった。わたしはぽかんとその場に取り残された。独りでね。
 怖くてよく覚えてないけど、これがイゴール・ナヴァロとわたしの出会いだった。

 あの出会い以来、わたしへの嫌がらせは、ぱったりとなくなった。怒鳴られたり、からかわれたりは、まだあったけど、痛い思いはしなくて済むようになった。イゴールの知り合いって思われたのかな?
 でもあれ以来、話をしたことはなかった。二、三回、見かけたことはあったけど、話し掛けられるような雰囲気じゃなかったし、聞こえてくる噂はやっぱり、おっかないことばかりだったから。
 それに、わたしの方もムイムイがいてくれたから、それほど気にしなかった。でもそんなある日……
「“狂犬”の野郎、ドジ踏んだらしいな」
 ふとそんな話し声が耳に飛び込んできた。酒場の片隅のテーブルで、よくない感じの男たちがなにやら話し込んでいる。その中には、見覚えのある顔もあった。
「いや、仕事はやりおおせたらしいぜ」
「ばぁか、んなこたあどうだっていいんだ。重要なのは、今、奴がただの死に損ないだってこった」
 ……え? イゴールが死に損ない? 怪我をしたってこと?
「名を上げるチャンスだぜ、こいつはよ」
「今まで奴にゃ、随分な目に合わされてきたからな」
「やるか」
「やるか」
 うなずき合うと、ごろつきたちは、陰険な笑みを浮かべて席を立った。わたしは慌てて物陰に隠れた。横を通り過ぎる時、ごろつきの腰に大きな刀のむきだしの刃がぎらりと光るのが見えた。
 どうしよう、どうしよう? イゴールに知らせた方がいいのかな? でもわたしの話なんか聞いてくれないよ。だからって、あいつらをやっつけることなんか、わたしにできる訳がない。どうしよう??
 頭の中がぐるぐるぐるぐる回ってる。
 誰か助けて!!