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 次の日になってもムイムイは現れなかった。次の日もそのまた次の日も。それでもわたしはあまり気に留めなかった。いろいろとやることがあったし、すべてが動きだそうとしてたから。
 そのうちまた会える。勝手にそう思い込んでた。そしてそのまま、日々のことにかまけて忘れてしまったんだ。
 笑顔をくれたムイムイ。いつも助けてくれたムイムイ。それなのに、ね。

 結局、わたしはイゴールの傷が治るまで、毎日のように彼のもとへ通った。イゴールの傷は想像以上に重くて日常生活に事欠く有様だったし、なにより、わたし自身、誰かの役に立てることがとてもうれしかったから。
 イゴールは事あるごとに不本意だって言い続けたけど、だからってわたしを追い出そうとはしなかった。つまるところは、不便を感じてたんだよね。
 例のごろつきたちはと言えば、わたしに愛想笑いすらするようになった。わたしの機嫌を損ねると、イゴールがすっ飛んでくるとでも思ってたみたい。別にうれしくはなかったけど、余計な心配が減ったのは、よかったかな。
 ただ、早く自分の力で生きていけるようにならなきゃいけない。そう強く感じるようにもなった。

 何週間かして、イゴールの体が元に戻った時、わたしはイゴールにお願いした。わたしに戦い方を教えてって。わたしに生きていくために必要なことを教えてって。
 もちろんイゴールはいい顔しなかったよ。でも粘り強くお願いし続けたら、最後にはしぶしぶながら引き受けてくれた。
「まあ、お前には借りもあるしな」自分への言い訳みたいに彼は言ったよ。

 こうしてわたしは、イゴール・ナヴァロの弟子になった。学ぶことは沢山あったけど、この師匠ったら、普通に順を追って教えるなんてことは、まったくしようとしなかったんだよね。
 早い話が、自分の仕事にわたしを連れてって、手伝わせたの。イゴールの仕事っていうのは、やっぱり危険なものも多かったから、わたしも必死だったよ。下手したら死ぬことだってあったと思うもの。
 でも確かに厳しい仕事ばかりだったけど、“狂犬”の噂を思わせるようなものは一度もなかった。イゴールがわたしをそういう時だけ遠ざけてたのか、それとも噂がでたらめだったのかは、とうとう分からなかったけどね。
 それに、そうは言っても、敵には容赦なかったから、そういう時はやっぱり怖かったな。

 そんなある日、部屋に帰ると、久しぶりにムイムイがいた。最後に会ったのはいつだったっけ? イゴールが傷付いていた、あの時以来? それなのに、今までちっとも思い出さずにいたなんて!
 それでもわたしはこの古いお友達に会えたことがうれしくて、ムイムイに近づいた。だけど、小さなその体はなんだか透けてるみたいで、今にも消えてしまいそうだった。

 ぱっ、と花が現れた。いつか見た花。そういえば、生えているのを見たことがない、不思議な花。
 懐かしくて、わたしはその花を手に取った。その瞬間、ムイムイが本当に消えた。いなくなった。そう、いなくなったんだ。ここにはもういない。
 わたしは独り、部屋に取り残されてた。

 何年かが過ぎた。
 多分、イゴールも助けてくれたんだろうけど、がんばった甲斐あって、どうにかわたしも、そこそこの技は使えるようになってた。風の声も聞き分けられるようになった。簡単な仕事なら、ひとりでもこなせるようになったんだ。仕事でひとり、スクーレの外にも出かけることもね。
 外では相変わらず、疫病が流行っていた。お父さんとお母さんの命を奪った病。それでもスクーレにはない、色んなことが外にはあった。
 <奈落>の生活は息苦しかった。いくら生きて行くためだからって、好きになれない仕事も多かった。イゴールは割り切れって言ったけど、わたしにはできなかった。
 無性にムイムイに会いたかった。でもムイムイはもういない。行ってしまった。もうわたしの手の届かないところにね。ううん、違う、変わったのは、わたしの方。
 わたしはまた笑わなくなってた。

「マキ、お前いつまで<奈落>なんかにいる気だ?」
 ある日、見透かすような目でイゴールが言った。
「俺の知ってることは、一通り教えた。それだけの腕があれば、どこへ行ったってやっていけるだろうが」
 心の準備ができてなかったわたしは、反射的にはぐらかそうとした。
「ええ? そんなことないよ、おだてないで、師匠」
 その師匠は真剣な目でわたしに言った。
「俺みたいになることはねえ。俺や俺を殺そうとしているやつらのようにはな」
「イゴール……」
「今日明日とは言わねえ。だが居続ける気がないなら、備えはしておくことだ。いいな」

 ある晩のこと、わたしが部屋で寝ていると、扉が荒々しく叩かれた。起き上がって身構えると、イゴールの声がした。
「マキ、俺だ。急いで用意しろ。ギルドに勘付かれた!」
 勘付かれた!? なにを? 寝ぼけた頭が急に覚めた。わたしの脱走のことだ! イゴールに言われて以来、少しずつお金を貯めてたけど、まさかこんな早くばれるなんて!
 闇ギルドの<奈落>には色んな掟がある。勝手に抜けようとする者には制裁が待ってる。それを生き延びて初めて晴れて自由の身になれる。聞いた話じゃ、今までにそれを成功させたのはひとりだけ。だからわたしは隙を見てこっそり抜けるつもりだったの。それなのに!
 扉を開けると剣を握ったイゴールが立っていた。浅いけど沢山の傷が見えた。
「イゴール! どうしたの、その傷は!?」
「やれやれ、ギルドのお墨付きで“狂犬”を狩れると聞いて、わんさと来やがった」
「どうしてイゴールを? まさか……」
「へっ、師匠が弟子を送り出すくらいのことはしてやる。そら、ぐずぐずしてんじゃねえ!」
 あとはもう無我夢中。慌てて部屋を後にして、街中を逃げ回って、どうにかこうにか街の門までたどり着いた。門をくぐる時、ふと後ろ髪を引かれる気がした。最後にもう一度だけ会いたい。
 背後で小さな音がした。振り返ると、地面に一輪の花が落ちていた。懐かしいあの花。誓っていいけど、ついさっきまで、そこにはなにもなかったよ。
 触れたら消えてしまいそうな気がして、わたしは恐る恐る触れてみた。……幻なんかじゃない。
 その時、分かったんだ。いなくなった訳じゃない。いつだってそこにいてくれたんだって。わたしが見えなくなっただけ。涙が浮かんだ。
「おい、マキ、いくぞ!」
 苛立ったイゴールの声。わたしは涙をぬぐって、花をしまいこんだ。
 さよなら、って言いかけてやめた。お別れなんかじゃない。いつも一緒だよ。どこに行こうとも、ね。
 わたしは街の外へ駆け出した。多分、今までで一番の笑顔を浮かべて。


絵:氏縄 勝之 . 磯 桂子
文:奥田 孝明 
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