「ちょっと、ウォルラス! こんなとこで寝ないで!」
 聞きなれた声に、わしの意識は現実に引き戻された。目の前では、食事の用意が進んでいる。見慣れた風景、見慣れた顔。我が家だ。

「寝とらんよ、ちょっと昔のことを思い出しておったんじゃ」
「それを寝てたっていうんだぜ。まあそろそろ気にする年でもないし、いいんじゃないか?」
「馬鹿にするんじゃない。まだまだお前たちにゃ……」
「うわぁ、おいしそう! もうお腹ペコペコだよ!」
「ちょっと、ちゃんと席に着いて!」
 屈託のない会話に、わしの反論は掻き消されてしまった。やれやれ、やんちゃ坊主どもめ。
「そう言えば、ひとり、姿が見えんな」
「ああ、また見回りに行くって言ってたわ。そろそろ帰ってくると思うんだけど……」
「もう待ちきれないよ、先に食べちゃ駄目かい?」
「うーん、本当は全員一緒がいいんだけど……しょうがないわね。もう、どこ行っちゃったのかしら、我らが団長殿は!」
「やったあ! いただきまあす!」
 団長、か。
 わしはまた少し記憶を遡ってみた。あやつの相棒として戦った歳月のこと。あやつに請われて、共に自前の部隊を結成した時のこと、この街にやって来た日のこと、そして……初めて身寄りのない子らを引き取った日のこと。なんと目まぐるしく充実した日々だったことか!
 あれから、あやつの刺青はまた少し増えた。増やさずに済めばよかったが、いかな手練といえど、戦いとは常にままならぬもの。せめて少なく済んだと思いたい。
 何年も共に戦場に立ち、多くを学んだ。わしはあの後も、何度となくあやつに救われた。一度などは、不死の身にさえ痕が残る、重い傷を負わせてしまった。その都度、わしはあやつの教えを胸の奥に刻み直した。
“大事なのは間合い、そして退かぬ心”
 この年までかかって、わしはどうやら、ようやくそれを学び仰せたらしい。

 しかし、わしは死ぬ。年尽きてか、戦いの中でかは分からんが、それは間違いない。いずれ記憶の中の存在に過ぎなくなる日がやって来る。
 あやつは生き続ける。ひとりで。
 百の春と秋とが過ぎた時、誰があやつの隣にいるだろうか? 誰が今日のこの日の思い出を共に語り合えるというのか? 誰があの男と旅路を共にできよう、人にあらざる時を生きる者の旅を?
 目の前の楽しげな食事の様子にわしは目を向けた。
 彼らもまたいつかは死ぬ。それは逃れようがない。その事実をわしは静かに受け止めた。
 しかし……不意になにかが開けるのをわしは感じた。
 わしが彼らに教えてきたように、彼らもまた、その子らに教えるのではないか? そしてそのまた子らへと、時の続く限り、受け継がれていくのではないか?
 にわかにわしは悟った。これもまた不死のひとつの形。そこには確かに不滅の炎が燃えている。そうとも。
 半生をかけて学び得たことを次なる世代に伝えよう。子からまたその子らへと伝わるように。
 そうすれば、わしが死んでも、また別のわしがあやつを支えることだろう。幾星霜経とうとも、あやつは傍らに懐かしい友を見出すことができるだろう。あやつが重荷から解き放たれるまでの束の間の時間、せめて孤独を忘れることができるように。わしらのすべてが分かち合えるように。精霊よ、導き給え。

 扉の音がした。
「あ、やっと帰ってきた。遅いよぉ!」
「悪い、先いただいてるぜ」
「もう、どこまで行ってたの? 料理温め直すから、ちょっと待っててよね!」
 口々に出迎えとは少々ずれた、しかし情のこもった言葉を口にする。わしは目を開いて戸口を見た。
 いつか見た光景が脳裏に甦った。遠い記憶と寸分違わぬ顔と瞳。月夜に映える白い肌。すべてがあの時のまま、記念碑さながらにそこにあった。ただ少しだけ照れたように笑みを浮かべていた。それはかつてはそこになかったものだ。
 わしは静かに微笑んだ。このくらいなら気付かれんだろう。年寄りは威厳を保っとかなきゃならんからな。
 努めて平静を装いながら、わしは言った。
「おかえり、ブラッド」


絵:氏縄 勝之 . 磯 桂子
文:奥田 孝明
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