「まったくあいつらときたら、ほんとに馬鹿だ。どいつもこいつも同じことを何度も何度も繰り返して、まったく……」
 今日もフィニーは愚痴をこぼしていました。地上に来てからというもの、すっかり独り言が多くなっていました。おしゃべりが大好きな妖精だけに、仲間がいない地上では仕方のないことだったのかもしれません。
 加えてフィニーは相変わらず人間が嫌いでした。“女神”の務めに付き従う身でなければ、とても側にいる気にはなれませんでした。
 誰も彼もが心の中と違う行動を取るように見えるのが、フィニーはたまらなく嫌でした。いつも何かしら重荷を抱えているようで、たまに楽しげに見えても、粗暴で近寄り難い、そんな風にしか見えませんでした。
 街の外では魔物の悪意が渦巻いていて、それに対する人々の恐れとの間で、フィニーは息が詰まりそうでした。
 地上は妖精にとって、決して住み心地のよい土地ではなかったのです。
 でもフィニーにはひとつだけ楽しみがありました。“女神”のために各地を飛び回る傍ら、時折、自由な時間を与えられると、喜び勇んで向かう場所があったのです。それはあの修道院でした。
 赤ん坊の名前はミレイといいました。修道女たちがそう呼んでいるのを聞いたのです。といっても、フィニーにはまだそれがこの“生き物”全体の名前なのか、この目の前にいる存在だけに対して付けられたものなのか分かっていなかったのですが。
 不思議なことに、姿を見せようとした訳でもないのに、ミレイにはフィニーが見えるようでした。あまりに普通に見えているようなので、わざわざフィニーは修道女たちの前に飛び出して反応をうかがったほどでした。
 別の言い伝えによれば、人は誰でも幼いうちは妖精を見ることができるのだそうです。時にはそうして見た人は成長しても見ることができたとも。いずれにしても、今となっては確かめようのないことですが。
 ミレイはフィニーを見ると、捕まえようとして、小さな両手をカゴの中から伸ばすのが常でした。そしてなんとも言えない心地よい笑い声を上げるのでした。フィニーはと言えば、そんな様子をうっとりと見続けて一向に飽きないのでした。
 時にはわざと捕まえられそうな距離まで近づいて、ミレイの注意を引いて、小さな指が触れそうになるや飛びのく、という遊びを繰り返したりしました。捕まえられずとも、ミレイは嬉しそうに笑い、そんな時、フィニーもまた一緒になって笑うのでした。
 なにが起きているのか分からない修道女たちは不思議そうに、首をかしげるばかり。
「なんて楽しそうに笑うんだろう」
 そう言えば、ミレイは泣く時も怒る時も、心の底からそうしている、という感じです。
「いつだって“嘘”の欠片もないもんな」
 自分の言葉にフィニーは納得しました。裏表があり、愚かしくもある人間たちの姿を見続けてきたフィニーにとって、ミレイの純粋さは、まるで精霊郷の仲間に出会ったかのように心地よかったのです。赤ん坊の笑顔の素晴らしさは、妖精をも虜にしたのでした。
 ある日のこと、いつものように修道院を訪れてみると、修道女たちは出かけているのか、しんと静まり返っていました。
 ミレイもいないのか、と少々残念に思いながら、それでも中に入ると、見慣れたカゴがありました。
「よしよし、せっかく僕が来てやったんだからな」
 ミレイはいました。でもいつもの笑顔はありませんでした。なんだか小さな額にしわを寄せ、顔も赤く汗をかいています。
「あれ? ……なんか変だぞ。おいミレイ?」
 返事はありません。果たしてフィニーのことに気付いているのかも分かりません。それでも声が聞こえたのかどうか、途端に火が付いたように、泣き出しました。
「うわ、ちょっと静かにしろよ、参ったな、もう」
 純粋なだけに赤ん坊の泣き声は物凄いものがあります。普段なら声を聞いた修道女が飛んでくるので、それで済んでいますが、今日は誰もいないのです。
「弱ったなあ、出直してこようか」
 そうしている間にも、泣き声はますます激しくなり、表情も苦しそうになっていきました。さすがにフィニーもなにか変だと感じ始めました。
「なんだろう、まさか病気じゃないだろうな? でもそうだとして、どうしたらいいんだろう」
 その時、フィニーの脳裏に、いつか修道女が煎じていた薬草のことが思い出されました。あれがまた必要になったのでしょうか?
「でもあれが生えているところは魔物がいるって話だ。魔物って妖精が見えたっけ? 見えたらどうしよう」
 それでも苦しそうなミレイの顔を見た途端、フィニーは迷いを捨てました。小さな羽根を羽ばたかせて、精一杯の早さで修道院を飛び出していったのでした。
「……やれやれ、どうにかやったぞ」
 疲れ果てた様子でフィニーは言いました。その腕には薬草が何本か抱えられていました。小さな妖精の身ではそれくらいしか運べなかったのです。
 妖精の体では煎じることもできません。知恵を絞ったフィニーは、運べる一番大きな石を上から落として薬草を潰すことにしました。
「これで効き目があるといいけど」
 潰した草をフィニーはミレイの口に含ませました。ミレイは泣き疲れたのか、苦しそうな息をするだけです。さすがのフィニーも不安が大きくなってきたとき、不意に話し声が聞こえてきました。
「帰ってきたんだ!」
 大急ぎで外に飛び出すと、修道女たちが話しながらやってくるのがみえました。どうやら街に買出しに出ていたようです。なにはともあれ、これで一安心。
 ところが、修道女たちはおしゃべりに夢中で、なかなか建物に入ろうとはしません。姿を見せる訳にもいかず、しびれを切らしたフィニーは電光石火の勢いでミレイの部屋に戻るや、棚にあった壺に体当たりしました。
 けたたましい音と共に、壺は粉々になり、それに驚いたのかミレイも泣き出しました。
 修道女たちが血相変えて飛び込んできたのは、そのすぐ後でした。
 鳥のさえずりがフィニーの目を覚まさせました。いつの間にか眠ってしまったのです。そこはまだ修道院の中でした。ぼんやりした目にカゴが映りました。
「ミレイ!」
 慌てて飛び上がり、カゴを覗き込むと、安らかな寝顔がそこにありました。汗も退き、顔色もすっかり元通りで、穏やかな寝息を立てています。
「……よかった」
 フィニーはつぶやきました。取ってきた薬草が効いたのかどうかなんて、もうどうでもいいことでした。丸一日、“女神”のもとに戻らなかったため、言い訳を考えなければなりませんでしたが、フィニーは今、心の底からほっとしていました。
 不意に抑えようのない嬉しさがこみ上げてきたフィニーは羽根を震わせて、カゴの上を飛び回りました。羽根から光の粒が零れ落ちて、ミレイのまぶたに触れました。
 するとミレイは目を開けました。あの見慣れた大きな瞳でした。ミレイはにっこりと笑って両手を上げました。


「きらきら!」
 初めて聞いた、ミレイの言葉でした。