がやがやとしたざわめき。たくさんの足音がひっきりなしに行ったり来たり。荷車の音や威勢のいい呼び声。いつもと変わらぬ王都ヴァレイの大通りの風景。

 あれからどれほどの歳月が流れたのやら、よく分からん。わしにとって本来、人間のような数え方は無意味じゃからな。種から育った苗が大樹となり、やがて朽ちて種を残し、そこからまた育ち、それを繰り返していつしか林となる。そのくらいの時間と言えばよいじゃろうか。
 わしはとうの昔に都の玄関じゃなくなっておった。いや、わしはずっとここにおった。街の方が大きくなったんじゃ。
 数々の動乱で城壁を失った都は、続く平和の時代に一気に広がったんじゃ。まるで今まで閉じこもっていた分を取り戻そうとするかのように、外へ外へとな。
 街の端が見えなくなって、もうずいぶんになる。旅人を出迎えることも、押し寄せる敵を阻むことも、もうわしの仕事じゃなくなったんじゃ。
 それでもわしを通る道はとても広く、時代が移り変わっても、人間たちは今日も、わしの下をくぐっていきよる。落書きのいたずらも相変わらずじゃった。
 格子は二度と修復されず、いくらかくたびれてはいても、やはりわしは門だった。それで満足じゃった。

 あの最後の戦いの後、白の男は騎士団を解散した。もうその役目も終わったとな。最後の団員たちは思い思いの地へと散っていった。留まった者も新たな道を歩み出したことじゃろう。
 団長と、彼に連れ添う白の娘もまた、都を去った。あの大変動と最後の戦いがどんな働きを及ぼしたのか、最後に見た時、二人は普通の人間と変わりないように見えた。少しばかり残念ではあったが、それでよかったんじゃろうな。
 二人が発していた不思議な気配ももう感じられなんだ。多分、それと引き換えにしたんじゃろう、二人はよく笑っておった。地中から掘り出されたばかりの宝石のように、輝いておった。
 立ち去る時、二人はわしの前で足を止めた。団長は、もはや団長ではない団長は、足元の小石を拾い上げてわしに近づいた。
 白の娘がなにか言った。
 すると団長は微笑んでから、小石でわしになにごとか書き付けたんじゃ。短い、とても短い、他愛もない一言。
 首を傾げる娘に笑いかけてから、団長はわしの方を見て片目をつむって見せた。まるで内緒ごとを示し合わせる子供のようにな。
 それから二人、笑顔のまま手を取り合って街の外へと歩いていった。見えなくなるまで、わしはずっとその背を見送った。
 多分、時の流れの中に消えていったんじゃろう。それきり彼らを見ることは二度となかった。
 その後、時が流れても王都は栄え続けた。大きな館が建てられ、新たな塔が築かれた。商人たちは相変わらず遠方の風の匂いを運んできた。兵士たちは、今となっては懐かしい武具の音を鳴らしながら見回っておった。
 懐かしい? そう、懐かしい。見知ったものは、みな過去の世界に行ってしもうた。わしより古いものは広い都にももう多くはない。
 あの白い男の落書きも、後から書かれた無数の落書きの下に埋もれ、今じゃすっかり薄れてしまった。
 いずれわし自身も消えてゆくんじゃ。いかにわしでも世界そのもののようには長生きできん。それはそれでよい。晩い早いの差はあれ、すべてのものが辿る道なんじゃからな。
「すごい、なんて高いんだろ! 登れるかな?」
「やめなさいよ、危ないんだから」
 ふと見ると、足元に駆け寄ってきた小さな影があった。少年と少女の二人連れ。まあよくあることじゃ。
 だがその顔を見た時、わしの奥深いところが音を立てた。
 見覚えのある顔がそこにあったんじゃ。遠い昔に、長いこと見た顔。それが今、目の前で小さな瞳を輝かせて、こちらを見上げておった。
 帰ってきたのか? いやありえぬ。最後に見た二人は確かに人間じゃった。目の前の子らは、あの忘れがたい白ではなかったし、それを言えば年だって違っとった。
 ならばこの二人は誰なのか? 遠い時を隔てて彼らの血を引く者か。なるほど、違いないわい。人間にはままあることよ。
「いたずら、いけないんだから!」
 少年が小石を拾ってわしに近づくのを見て、少女が声を上げた。聞こえないそぶりで少年はわしに小石を当てた。古い記憶が甦った。そこはかつて、遠い昔に白い手が触れた場所じゃった。あの時、彼はなんと書いたのだったか……
 少年が手を動かした。ぎこちない文字が記されていく。ほんの一言、短い言葉。こう書いてあった。
“ずっとこのままで”
 わしは信じ難い思いに捉われた。なんと! いやまさか!
 石の心が震えた。
 それはかつて白い手が記した言葉、まさにそのものだったんじゃ。ひと文字ひと文字が、かつて記された場所に寸分違わぬ形で再び刻みつけられておった。誓って言うが、かつての跡はなぞれるようなものじゃなかった。
 奇跡。そう呼ばずしてなんと呼ぼう?
 決して誰も知ることのない奇跡。だがたとえ証人が物言わぬ石の門しかおらぬとしても、それがなんじゃろう? わしが目の当たりにした。それで十分じゃった。おお、なんと世界は神秘に満ちていることか!
 この瞬間のために、長の歳月、わしはここに立ち続けたのやもしれなかった。
 わしは奇跡を見た。奇跡があることを知ったんじゃ。
 好奇心に負けたか、少女が寄ってきた。二人で並んでわしを見上げる。その無垢な瞳には、確かに面影以上のものがあった。
 すると、子らは微笑みかけた。わしに、この古びた石の門に微笑みかけたんじゃ。その笑顔こそまさに最後に見た時に、あの白い二人が浮かべた笑みじゃった。


 この子らはあの二人ではない。しかしやはりあの二人でもあったんじゃ。
 わしが在り続けるように、彼らも在り続ける。形は変わろうとも、失われるものはなにもない。そうじゃ、彼らの後を継ぐ者がおるように、わしの後を継ぐものもあるやもしれん。そうして世界は続いてゆくんじゃ。
 誰かに呼ばれたのか、子供たちは笑顔を残して走り去った。人ごみの間に隠れてしまうまで、わしはその背を見送った。
 それからわしは辺りを見渡した。行きかう人々を、街路を家々の連なりを。その先にそびえる城を、そしてはるか彼方の山の峰、雲に空、大地とその他ありとあらゆるものを。これが世界。
 わしは目を閉じた。

すべてのものの上に幸あれかし。


絵:氏縄 勝之 . 磯 桂子
文:奥田 孝明 
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